その三 今後は食べることにどう向き合えばよいのか
食料が絶えず不足していた中世ヨーロッパでは、カトリック教会が「モラル・エコノミー」を説き、食料不足に付け込んで法外な価格で売りつける商人たちを糾弾した。毎日食べるパンやビールの値段は生産業者と市民が話し合って決める制度があった。平時の食料価格は市場の動向に委ねられていたが、飢饉に見舞われた場合には教会や都市当局は道徳的な観点から市場に介入して貧しい人々に食料を保証する義務があったのである。近代になっても第二次大戦中の日本や戦後の社会主義国家で行われた食料配給制度のように、国家が介入する「ポリティカル・エコノミー」があった。
だからと言って、現在の行き過ぎた大量生産、大量販売を自粛することを、新自由主義の市場経済論理に支配されて動いている世界規模の食料経済システムに期待するのは無理である。それどころか、大きくなり過ぎた食料経済システムを維持するために、私たちは必要のない食の浪費を強いられていることは、すでに述べたとおりである。また、国家の食料対策に多くを期待することもできなくなっている。例えば、我が国の政府は40%にまで低下した食料自給率をせめて45%に回復させたいと、この20年間、さまざま農業活性化政策を実施してきたが効果がなく、食料自給率は依然として38-37%に低迷したままである。
それよりも、消費者自身が脂肪の摂取過多になっている現在の食生活を見直し、肉料理や油料理を少しセーブして30年前、昭和の終わりごろの栄養バランスのよい食事をすれば、食料自給率は直ちに50%に回復するのである。しかし、健康のために和食を摂ろうという人はいるが、自給率を回復させるために和食中心の食事をしようとする人はいない。と言って、かつての貧しく、不便な食生活で我慢しようとする人もいない。いくら科学技術が進歩しても食料を人工的に作ることはできないし、食べることが不要になるわけでもない。これからの社会において、私たちは食料の生産とどのように関わり、食べることにどう向き合っていけばよいのであろうか。
