1.豊かで便利な食生活に何が起きたか(その二)
最近、この豊かな食生活を持続できなくなる限界がにわかに近づいてきた。20世紀の豊かな食生活を支えてきた世界的規模の食料経済システムが、予想もしなかったところから破綻し始めたのである。その第一は、世界的にみてこれ以上に食料を増産することができなくなってきたことである。無理な食料増産で酷使された農耕地は地力を失って生産力が低下し、大量に使われた化学農薬と化学肥料は環境を汚染して自然の生態系を破壊し始めた。産業社会が放出する大量の二酸化炭素が地球の温暖化を引き起こし、これ以上に気温が上昇すれば農業に深刻なダメージを与えるのである。魚介類など水産資源も乱獲によって急速に枯渇し始めている。人口の増加と都市化が進んで淡水資源が不足し始め、これまでその7割を使ってきた農業用水が世界の各地で確保しにくくなっていることも深刻なダメージである。もはや、現状以上に食料を増産することは世界的に困難になり、2050年に90億人を超すと予想される地球の人口を養うことはできなくなるに違いない。近い将来、世界規模の食料不足が起きることは避けられそうもないが、そうなったら食料を自給できない日本は全員が飢餓状態に近くなるに違いない。
家庭の食生活においても気がかりな現象がつぎつぎと起きてきた。有り余るほどある食料を好きなだけ食べるから、食べ過ぎによる肥満者が増えて、それが原因となって生活習慣病が蔓延し始めたのである。今や、中高年者は3人に1人が肥満になり、人口の3分の1、4000万人が生活習慣病で苦しんでいる。若者は忙しいからといって朝食を抜き、昼食も夕食も外食に頼っているから、栄養のコントロールが難しくなり栄養不足になることが多い。食料が豊かになったために、食べ過ぎて肥満が増え、乱れた食生活をするから栄養不足が起きているのである。さらに、これまで家事を担当していた専業主婦が職業について外で働くようになったので、家庭における食事作りを面倒な作業であると考えるようになった。食事作りをしなくても外食や調理済み食品を手軽に利用できるので、家庭で食事作りをすることが少なくなったのである。今、1日に三度の食事作りをしている女性は、20歳代であれば2割しかなく、30歳から60歳代の主婦であっても6割に減っている。当然ながら、我が家の味が失われ、自分の都合がよい時に一人で勝手に食べる個食や家族の一人一人が好きなものを食べるバラバラ食、両親が忙しいので子供だけで食事をする子食が増えて、食卓での団欒が少なくなり、何のために家庭で食事をしなければならないのか、その意味がよくわからなくなってきた。このまま、個食やバラバラ食、子食が増え続ければ、食卓に家族が集まらなくなり家族の絆が弱くなるのではないかと心配されている。
忙しい現代生活であるから、いつも家族と一緒に食事をするというわけにはいかないだろう。自分の都合に合わせて一人で食事をする個食化現象がある程度まで進行するのは無理もないことではある。しかし、個食化現象がこのままどんどん進行するならば、家庭はどうなるのであろうか。家族とは別に一人で食事をする個食、独りで食べる孤食、子供だけで食べる子食という食事形態がこれほどまでに増えたことは、西欧諸国ではまだ見られないことであり、人類の食の歴史においてもこれまでなかったことである。豊食がいつの間にか飽食になり、食の在るべき姿を外れた崩食状態になったのである。
現代の食生活に起きているこのような変化の背景には、世界規模でみれば、近代社会の基幹である市場経済資本主義の拡大と生産技術の進歩があり、それに適応するべく社会行動の全般について合理性の追求があった。しかし、今や世界規模に拡大した市場経済は天然資源の枯渇、自然環境の破壊、南北問題や経済格差の拡大などの限界に直面し、生産技術は情報処理、自動化への革新を迫られている。国内的に見れば、近代核家族の成立とその個人化、女子の就業率の向上とそれに伴う家庭生活の変容、急速な老齢化と少子化、などの社会現象が進行している。現在の食生活に起きている諸問題は、これらの経済情勢、社会構造の変化に少なからず起因していると解釈してよい。私たちが望んだことではないが、社会学的にみれば起きるべくして起きた混乱であり、もはや食の世界だけの対処では解決できない問題になっていると言ってよい。
