1.豊かで便利な食生活に何が起きたのか'(その1)
誰でも、いつでも、どこでも食べたいものが食べられる豊食の時代が実現したのは、欧米先進国においても、我が国においても20世紀半ばのことである
人類は農耕、牧畜を始めた1万年の昔から常に食料不足に悩まされてきたので、絶えず知恵を働かせて食料を増産することに努めてきた。そしてようやく20世紀になって、科学技術を総動員して食料を大増産することに成功し、多量に生産した食料を世界規模で流通させる市場経済システムを構築して、世紀半ばには地球上の大多数の人々を食料不足から解放した。そして、便利な加工食品を数多く開発して家庭の調理作業を簡便、便利なものに変え、忙しい主婦たちを食事作りの苦労から解放したのである。
我が国においても同様であり、第2次大戦後の深刻な食料不足を解消するために、化学肥料と農薬を活用して食料の大増産を行い、それでも足りない食料は海外から輸入して補った。米食に偏っていて栄養バランスの悪い和風の食事を改めて、肉料理、乳製品を多く摂る洋風の食事をすることにより、人々の栄養状態はよくなり、世界トップクラスの長寿国になった。便利な加工食品や即席食品が数多く開発されたので、家庭で料理をする手間は著しく軽減された。毎日の献立が和風、洋風、中華風と日替わりで変わる日本の家庭料理は、世界でも類を見ないほどに豊かで、多彩になっている。それに加えて、便利な調理済みの総菜や弁当などが利用でき、外食店も手軽に利用できるようになった。
誰もが、どこでも、いつでも、食べたいものを、大きな経済的負担をすることなく、手軽に食べることができる「豊かで便利な食生活」が実現したのである。これは我が国の有史以来2千年の歴史を通じて、これまで願ってもかなえられなかった素晴らしいことなのである。しかし、それからわずか半世紀も経たぬうちに、人々はその豊かで便利な食生活に慣れて食べ物の大切さを忘れ、食べることをいい加減にするようになった。そしていつの間にか、必要以上に食べる「飽食」になり、食べることについてこれまで守ってきた規範から外れた「崩食」という混乱状態を引き起こしている。豊かで便利な食生活を追求し過ぎたための代償とでもいうべき現象が起きてきたのである。
表面的には豊かに見える現在の食生活の裏では、このまま見過ごしにはできない心配なことが起きてきているのである。まず、食料が国内で自給できなくなり、海外から大量の農産物を輸入しなくてはならなくなっていることである。そのため、総合食料自給率が40%に低下して、いざという時に国民の食料が保障できなくなっているのである。わが国の農業は耕地が狭くて十分に機械化できず、労賃も高いので、農産物はどれも生産コストが海外諸国に比べて著しく高い。だから、安価な海外農産物が大量に輸入されてくると競争することができない。苦労して栽培した農作物を生産コストに見合った価格で販売することが難しいのだから、農家は生産意欲を失って国内農業はすっかり衰退し、農業生産高は9兆円、販売農家は120万戸、農業人口は145万人に減少してしまった。国内漁業も厳しい状況に直面することになった。近海の漁業資源が乱獲により減少したので漁獲高は35年前の3分の1に減少し、80万人であった漁業人口は18万人に減っている。
今や、自給できる食料は米だけになり、近い将来、世界的な食料不足が起きて海外からの食料輸入が途絶えれば、我が国は再び深刻な食料不足に陥る。そうならないためには、地場の農産物や有機農産物を積極的に購入するなどして国内農業を支援し、少しでも多くの食料を国内で生産しなければならないが、消費者の協力は十分に得られていない。今でも、南アフリカの貧しい国々には8億人が飢えていて、国内でも一部の貧困世帯の子供たちは満足なものを食べさせてもらっていない。それなのに、大多数の日本人は有り余る食料の3割を食べ残し、使い残して大量に捨てている。近い将来に世界的な食料危機が訪れてくれば、現在のような豊かな食生活は続けることができなくなると心配している人はごく少ない。