醬油は和食の味を代表する調味料であり、最近では海外でもソイソースとして愛好されるようになった。 日本の醬油の起こりは鎌倉時代に味噌樽の底に溜まった汁を溜まり醬油として使ったことである。室町時代になると、蒸した大豆と煎り小麦に麹と塩水を加えて発酵させて醤油を作るようになった。醤油は味噌とは違って家庭で作ることが難しく、江戸の初期までは1升が100文、約3000円もする高級酒並みの値段で売られていた。

 しかし、江戸時代の寛文年間(1661-73))になると、淡口醤油が関西の湯浅、龍野で大量に製造できるようになり、続いて江戸に近い銚子、野田などで濃口醬油が生産されると1升、1200円ぐらいで買えるようになった。醬油を刺身、蒲焼、照り焼き、佃煮、ソバのつゆやうどんの出汁などに日常的に使えるようになったのである。

醤油を使うようになって魚の食べ方が変わったと言われる。それまで細く刻んで生のまま、あるいは酢で食べていた魚の鱠は、太く身を切って山葵醤油で食べるお刺身に変わった。大阪から隅田川河口の佃島に移住させられた漁民が小魚やアサリを醤油で煮詰めたのが佃煮の始まりである。握りずし、蒲焼、てんぷらなども濃口醬油なしには誕生しえなかった魚料理であろう。文政4年、1821年、江戸で消費される醬油は125万樽であったと記録されている。1樽4斗入りとして計算すると50万石、9万キロリットル、一人当たり年間90リットルで、現在の10倍にもなる消費量である。

 醤油には大きく分けてうま味と香りが強い濃口醬油と色の薄い淡口醬油の区別があるが、生産量の8割は濃口醬油である。関西地方では吸い物の風味を損なわず、煮物に濃い色がつかない淡口醬油が好まれる。 和食を食べることが減ったので醤油の消費量は減少を続けて、現在、年間82万キロリットルになった。40年前に比べれば4割近くも減少したことになる。一人当たりにすれば年間6.5リットルであるが、その6割はめんつゆやたれの加工に使われる業務用である。

 

1