鰹節、昆布、煮干し、椎茸などで出汁をとるということは日本で独自に発達した料理法である。たんぱく質や脂肪の多い肉類を使う欧米の料理では肉そのものからうま味が出るが、脂肪、タンパク質が少ない野菜をおいしく調味する和食には出汁(だし)を欠かすことができない。昆布や鰹節で出汁をとり、汁物や煮物に使うようになったのは南北朝のころかららしい。昆布から出るうま味成分、グルタミン酸と鰹節のイノシン酸、あるいは干し椎茸のグアニル酸を一緒に合わせると相乗効果でうま味が数倍に増すことを経験的に知ったのであろう。西欧では味を酸甘塩苦の4つの基本味(四原味)で説明しているが、それに出汁の「うま味」があることを発見したのは日本人である。うま味や出汁に相当する外

国語はないから、今では「UMAMI」、「DASHI]が国際的に通用している。次いでながら、醬油、味噌、魚醤などの発酵調味料の味は蛋白分解物であるグルタミン酸、や核酸分解物であるグアニル酸などの「うまみ」であり、東南アジアの食事に共通した味なのである。

昆布を味付けに使うのは室町時代に蝦夷地(北海道)から運ばれてきた昆布を京都で味付けに使ったのが始めらしい。江戸時代になると北前船で大量の昆布が大阪や江戸に運ばれ

 

た。鰹の煮干しを作った煮汁を煮詰めた(いろ)()は奈良時代から調味に使われてきた。しかし、煮て骨抜きをした鰹の身を燻煙して乾燥させ、さらに天日乾燥しから青カビをつけ脂肪を分解させて香りを出す鰹節の製法が考案されて出汁を採るのに使われるのは江戸時代である。薄口醬油と昆布だしで調理する薄味の京料理に対して、濃口醬油と鰹節だしの江戸料理が生まれた。

しかし、江戸期から明治、大正、そして昭和に至るまで鰹節は贈答品にもする高級食材であり、庶民が日常に使うものではなかった。戦前の庶民の家庭では鰹節と昆布の出汁を取るのはハレの日やお客のあった時だけであり、日常は煮干しを使っていた。その後、遠洋カツヲ漁業が発展して生産量は増えて需要も増えたが、出汁を採るにはあの堅い鰹節を削らねばならないから、忙しい現代の食事作りでは敬遠され始めた。鰹節を削る手間を解消したのが昭和44年に発売された削り節の小口フレッシュパックである。この家庭用商品のヒットによりそれまで年間6000トンぐらいであった鰹節の需要は一挙に2万トンを超えた。

 一方、昆布のうまみの主成分がグルタミン酸ナトリウムであることが明治41年、池田菊苗博士により発見されると、人工的に生成したグルタミン酸ナトリウムを使った世界初の化学調味料「味の素」が発売されてヒットした。最近、出汁昆布の需要が2万トンぐらいに減少しているのは、昆布や鰹節で出汁を採る代わりに、こうした調合調味料を使うことが普通になっているからであろう。

同様に、和食に欠かせない醤油や味噌の消費量も減少するなかで、鰹節の生産量は増え続けている。昭和55年に22000トンであった鰹節の生産量は現在36000トンに達している。しかし、この原因は昔ながらのあの堅い鰹節そのものの消費が増えたのではなく、便利な合わせ調味料や麺つゆに鰹節が使われるようになったからである。近年の健康志向に応じて、醤油や塩を減らした合わせ出汁や麺つゆに「こくみ」を強化するのに鰹節が役立っているのである。

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