奈良時代に牛馬を殺すことを殺生禁止令で禁じられて以来、日本人は動物性たんぱくを魚介類から摂取して暮らしてきた。現代日本人の魚介類摂取量は1日、約81グラムで、アメリカやイギリスに比べると3倍、魚介料理の多いスペインに比べてかなり多い。

 この魚好きの習性は日本列島の地勢と大いに関係がある。日本列島を取り囲む海洋は、太平洋側にオホーツク海から冷たい親潮(千島海流)が南下し、南方からは暖かい黒潮(日本海流)が北上している。日本海側には、黒潮から分岐した対馬海流が北上し、北海道にはオホーツク海からの流氷が流れ着くなど、暖流、寒流の入り混じる日本沿岸はプランクトンが豊富な世界屈指の漁場であるからである。

私たちの先祖である縄文人や弥生人は複雑に入り組んだ内湾や河川でサケ、マス、タイ、スズキ、アジ、イワシ,フナ、コイ、などの魚、ハマグリ、アサリ、アワビ、カキ、サザエ、シジミ、タニシなどの貝を採って暮らしてきた。江戸時代になると、それまでの釣りや、延べ縄だけではなく、定置網漁法や地引網漁法が発達し多量の魚を漁獲することができるようになった。特に、大消費地である江戸に面した江戸湾は良質の漁場であったから、タイ、スズキ、ボラ、カレイ、コハダ、アナゴ、芝エビ、ハマグリ、アサリなど「江戸前」の魚介が多く獲れ、日本橋の魚市場に運ばれた。寛永2年(1643)に書かれた「料理物語」には海の魚が71種類、川魚が19種類挙げられている。西洋人が嫌うタコ、イカも大好物であり、気味の悪いナマコ、ホヤ、猛毒のあるフグまで上手に料理して食べてしまう。

日本人は昔から魚を生のまま鱠にして食べることが多かったが、焼いたり、茹でて塩、酢,醬を付けて食べるか、あるいは(きたい)(丸干し)、(すわ)(やり)(細切りにした魚肉の塩干し)にして食べした。魚を塩と飯で漬けて発酵させる熟鮓(なれずし)にすることも古くより行われていた 

江戸時代になって醬油が普及すると、それまで生のまま、あるいは酢で食べていた魚の鱠は醤油で食べる刺身に変わった。細かく刻んだ大根、胡瓜や海藻、穂紫蘇,芽蓼などの薬味と一緒に盛り合わせ、擂りワサビと醤油で食べる「お刺身」は代表的な日本料理になったのである。魚を「焼く」という調理にも、塩焼き、照り焼き、付け焼き、串焼き、蒸し焼き、包み焼きなどの多彩なレシピが生まれ、薬味やつけ汁にも実にさまざまな工夫が凝らされている。このように一つの食材をさまざまに活かす料理法を工夫する民族は珍しいのであり、この特性は現代の回転寿司、ピザ、スパゲティなどの多彩なメニュー作りにも発揮されているように思う。

日本人の重要なたんぱく資源であった魚介類は近年、漁業水域規制と沖合漁業資源の減少により漁獲高が30年前の半分以下、480万トンに減り、不足する400万トン余りを輸入魚に頼っている。消費量の多いのは鮭、烏賊、鮪、鰤、海老であり、高級魚である鰻は99%が養殖、真鯛は78%、鰤は57%、ふぐも52%が養殖ものに代わっている。カキやホタテは早くからすべて養殖である。

魚貝類は牛肉や豚肉に比べて脂肪が数分の一と少なく、ヘルシーな食材として世界的に見直されている。ところが、日本人の魚の摂取量は近年減少し続けていて、5年前に肉類のそれに追い抜かれてしまった。平成22年現在では肉類の消費が一人、一日に83グラム、魚が73グラムに減っている。

これは子供や若者が魚を食べなくなったからである。老年者には焼魚や煮魚が好きな人が4人に一人ぐらいいるが、10歳代の少年少女では25人に一人に過ぎない。若い親が魚の調理法を知らず、また知っていても手間がかかるから敬遠するのである。若者の魚離れを食い止めるためにも魚料理を得意とする和食の復活が望まれるのである。

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