多彩な野菜を多く食べてきた日本人であるが、その和食によく使う野菜はほとんどが日本列島の原産ではない。古くは中国大陸や南方諸島より海流や季節風、渡り鳥によって運ばれ、後には人の手によって海を渡って運び込まれたものである。

 縄文時代にはすでにマクワウリ、ユウガオ、ヒョウタン、ゴマ、シソなどが中国大陸から、里芋、ナガイモなどが南方諸島から伝来していた。弥生時代には大陸からの渡来人が水稲、大麦、小麦などの穀物と一緒に、大豆、小豆、緑豆、ダイコン、カブラ、アブラナ、カラシナ、ネギ、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、ショウガ、ハスなどを伝えた。ナスビ、キユウリ、シロウリ、トウガン、ササゲマメ、エンドウマメ、ソラマメ、タカナ、カラシナ、ゴボウなどは大和朝廷と中国、朝鮮との交流,交易によって伝えられたものである。   

我が国で現在栽培されている野菜は百種類余りであるが、そのうち日本列島原産と野菜は意外なほどに少なく、セリ、ミツバ、ノビル、フキ、ウド、ミョウガ、ワサビなどマイナーな山菜ばかりである。

その後、 安土桃山時代に南蛮船、唐人船でわが国に持ち込まれた野菜はサツマイモ、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ、スイカ、そして、トウガラシである。カボチャは原産地が南アメリカであるが、16世紀にポルトガル人によって日本に伝えられた。カンボジアの作物であるというのでかぼちゃと呼ばれ、唐の茄子だというのでとうなすと呼ばれたが、広く食べるようになったのは江戸時代になってからである。西瓜はその名の通り西域から中国に伝えられた瓜であり、江戸時代初期になると京都や江戸で栽培するようになった。ペルシャ原産のホウレンソウやアフガニスタン原産のニンジンもこの時代に中国を経由して日本に伝わってきたらしい。南米原産のトウガラシは南蛮船が持ち込んだとも、豊臣秀吉の挑戦征伐の折に持ち帰ったとも言われているが、素材の持ち味を生かすマイルドな料理に慣れていた日本人にはトウガラシやコショウの強烈な辛みや香りは受け入れにくいものであった。

江戸時代にはこれらの野菜、芋などの品種改良が進んで、大量に生産されるようになった。野菜は魚に比べて安く、庶民のおかずは野菜中心であった。とりわけ、江戸、大阪、京都の近郊農村は良質の野菜の生産地として発展し、江戸近郊には練馬大根、小松菜、滝野川人参、砂村ねぎ、千住なす など、京都には九条ねぎ、堀川ごぼう、加茂茄子、壬生菜、万願寺とうがらしなどの特産野菜が生まれた。

明治維新になると西洋料理に使うジャガイモとタマネギ、キャベの栽培が広まったが、セロリ、パセリ、カリフラワー、トマト、ピーマン、レタス、アスパラガス、マッシュルームなどが普及するのは第二次大戦後のことになった。

 野菜は新鮮さが重要であるからすべて国内産で賄ってきたが、近年は中国産など安価な輸入野菜が増えて自給率は80%になっている。30年前には芋、豆を除いて約1700万トンあった国内生産量は現在、1200万トンに減少していて、生産量の多いのはジャガイモ、206万トン、キャベツ127万トン、ダイコン117万トン、タマネギ96万トン、以下、ハクサイ、トマト、ニンジン、レタス、キュウリ、ネギの順である。この間、和食系のダイコン、キュウリ、ナス、サトイモの消費は減少し続け、洋食系のレタス,ピーマンなどは増えている。

野菜をよく使う和食に親しんできたにもかかわらず、日本人の野菜の摂取量は現在、一日、263グラムと少なく、厚労省が提唱している目標摂取量350グラムにも足りていない。韓国の578グラム、スペインの391グラム、フランス、389グラム、アメリカ336グラムに比べて野菜の摂取量がこれほど少ないのはなぜであろうか。

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