日本には春、夏、秋、冬、と四季の移ろいがはっきりしていて、それぞれの季節には旬の食材が多い。その旬の食材を生かして使うのは、季節感の鋭い日本人が生み出した和食の特徴である。旬の魚は脂がのっていてうまく、野菜にはビタミンCが多い。

 ことに旬の始まりの初物を食べれば寿命が延びると言うので、江戸では初物を争って求める初物ブームが生じた。初物の代表格は「目に青葉 山ほととぎす 初がつお」と詠われた初鰹である。初夏になると黒潮に乗って北上してくる鰹を伊豆沖あたりで一本釣りで釣り上げ、、それを早舟でその日のうちに江戸に運ぶのである。もっとも庶民が買うのは高くても1分、3万円ぐらいのものであったが、それでも、「春の末 銭に辛子をつけて食う」ようなものである。当時はわさび醤油でなく、辛子酢味噌で鰹の刺身を食べていたのである。

 幕府は初物に異常な高値がつくのを防ぐため、油障子で囲って促成栽培したなす、瓜、たけのこ、など、また旬より早く獲った鱒、鮎、鰹、鮭、白魚などを旬より早く高値で出荷することを禁じていた。sれでも初物をいち早く食べようと江戸っ子は見栄をはったが、旬の季節が過ぎたらば次の年の初物が出るまでその野菜や魚は食べないで我慢するのも心意気であった。現代人は旬の季節に関係なく、年中同じようにきゅうりやなす、とまとやいちごを欲しがり、日本人らしい食の季節感を失ってしまっている。

 江戸っ子の季節感をよく表すものは他にもある。春の花見のころには向島長命寺の門前の山本屋のさくら餅に人気があった。塩漬けにした桜の若葉で包んだ餡餅であるが、店で漬けこんだ桜の葉数から計算すると、一春に38万個の桜餅が売れたという。冬になるとみかんが売れた。紀伊国屋文左衛門は紀州名物の蜜柑を冬の荒海を乗り切って江戸に運び、一夜にして巨万の富を得たという伝説がある。多い年には1籠百個から2百個入りで30万籠も消費されたから、一人当たり30個にもなる。

 

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