江戸に暮らす人々が日常に食べていた「おかず」はどのようなものであったのか。幕末の天保年間(1830-42)に作られた「日用倹約料理仕方相撲番付」には200種類ばかりの惣菜が大相撲の番付に見立てて並べてある。

 右側の精進方は野菜料理である。大関は八杯豆腐(豆腐を長方形に切り、辛子、おろし大根、醤油汁で食べる)、関脇は昆布と油揚げの煮物、小結はきんぴらごぼう(ごぼうを千切りにして砂糖、醤油、トウガラシで味付けする。油で炒めるのは明治以降らしい)、前頭には煮豆、焼き豆腐のすまし汁、ひじき白和え、切り干し大根の煮つけ、芋がらと油揚げの煮つけ、油揚げのつけ焼き、小松菜の浸しもの などである。

 左側の魚類方には目刺しいわし、あさりやしじみのむき身と切り干し大根の煮つけ、芝えびのから煎り、まぐろのから汁、こはだと大根の煮つけ、畳いわし、いわし塩焼き、まぐろ刺身、塩かつお、塩引き鮭などが並んでいる。

 たくあん漬け、梅干し、ぬか漬け、菜漬など漬物は毎日食べるから行司として記載されている。江戸では精白した白米を食べていたから、多量に出る米ぬかが漬物に利用された。米ぬかと塩、水をよく練り合わせたぬか床が乳酸菌で発酵すると、程よい酸味とさわやかな香りを生じ、ビタミンも豊富になる。きゅうりやなすのぬかみそ漬けはどの家でも浸けていたが、干し大根を塩とぬかで数か月漬けるたくあん漬けは近郊の農家が漬けたものを購入していた。1本16文、約300円ぐらいであった。梅の塩漬けは古くより保存食として重宝してきたが、赤しそを使って色付けするようになったののは江戸時代からである。

 これらの「おかず」は明治以降も食べられいて、私たちにもなじみのあるものである。しかし、現在のように毎日のおかずを日替わりで変えることはしないで、ほぼ同じおかずを繰り返し食べていたらしい。獣肉を食べることは古くより禁じられていて、江戸時代からようやく鶏肉と卵を食べるようになったのであるが、どちらもめったに食べられないご馳走であり、日常には食べることがなかった。卵は1個10文、約200円か300円する高価なものであり、戦前までは、卵は病気見舞いの品に使われていた

 

 

 

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