江戸後期の宝暦天明から文化文政のころ(1751-1830)、江戸の町に富裕な商人、文人、役人が遊興する高級な料亭がが現れた。料亭の始まりは京都の清水寺や祇園社などの門前の料理茶屋であると言われているが、江戸では深川洲崎に開業した鱒やが最初らしい。続いて八百善や平清などが開業し、そこでは贅沢な会席料理を食べて酒を飲み、踊りや唄、会話を楽しむことができた。

 会席料理は料亭に客を招待して会食するために誕生した宴会料理であり、料理の品数は茶席の懐石料理や本膳料理より多い。季節感のある上質の食材を味よく調理して、美しい食器に盛りつけた料理を庭園が眺められる座敷で芸妓などを交えて酒を飲みながら楽しむのある。活発な商業活動で豊かな財力を得た商人たちが育てた料理文化の華であるといってよい。

 名料亭として評判の高かった浅草山谷の八百善の懐石料理の献立の一例を紹介しよう。本膳には前菜として平皿に甘鯛と鴨肉、マツタケ、くわい、芹を取合わせて盛り、向付は鮃と烏賊の刺身にうど、岩茸、青海苔、しょうがを添え、吸い物は鱚の摘み入れ汁、香の物は押し瓜、茄子の奈良漬、と大根である。二の膳にはつくしと嫁菜の浸しもの、赤貝柔らか煮、焼き栗と銀杏、清汁の具はあいなめと葉防風、三の膳の鉢肴料理は小鯛のけんちんと煮とうがらしである。料金は銀十匁、約二万円であった。

 今日、われわれが日本料理と言っている和風の会席料理では、前菜(酒肴)を先に出して酒宴を行い、終わりに飯と味噌椀、香の物(漬物)、果物を出す七品献立、九品献立が多く、膳を使わず食卓で給仕するのが普通になっている。

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