南蛮交易で盛んに輸入されたものは砂糖である。砂糖が我が国に運ばれてきた最初は天平勝宝6年(754)、鑑真和尚が来朝した時である。鑑真が孝謙天皇に風邪薬として献上した砂糖はわずかに2キログラムであったから、当時の砂糖がいかに貴重なものであったかがわかる。古代の甘味料は水飴、蜂蜜あるいは甘葛汁であった。

 その後、砂糖は八代将軍、徳川吉宗が奨励して国産の砂糖が生産できるようになるまでは、中国からの輸入に頼っていた。輸入量が急に増えたのは南蛮交易が始まってからであり、オランダ船と中国船が日本に運んだ砂糖は年間1100万斤(6600トン)にもなったらしい。砂糖の値段は高く、1斤、600グラムが米.2斗、30キログラムに相当した。カステーラ、ボウロ、カルメラ、有平糖、金平糖、など砂糖を多量に使った甘い南蛮菓子は人々を強く魅了したのである。

 この頃、南蛮船、中国船で我が国に持ち込まれた野菜はサツマイモ、トウモロコシ、ジャガイモ、カボチャ、スイカ、そしてトウガラシとコショウである。サツマイモは南アメリカ原産であり、オランダ人、ウイリアム アダムスが琉球から持ち込んで平戸で栽培したのが最初である。その後、薩摩藩で広く栽培されるようになったので薩摩芋と呼ばれた。八代将軍、徳川吉宗が農学者、青木昆陽に命じて救荒作物として広く栽培させたことはよく知られている。

 カボチャも原産地は南アメリカである。江戸時代になって広く栽培されるようになり、カンボジアの作物だというので「かぼちゃ」と呼ばれ、唐の国の茄子だというので「とうなす」と呼ばれた。西瓜はその名の通り西域から中国に伝えられたものであり、江戸時代になると京都や江戸で栽培されるようになった。ペルシャ原産のホウレンソウやアフガニスタン原産のニンジンも中国を経由して伝えられた。南アメリカ原産のトウガラシは別名を南蛮胡椒、あるいは高麗胡椒と言われていて、南蛮船が持ち込んだとも、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折に持ち帰ったとも言われている。アメリカ原産のトウモロコシとジャガイモが広く栽培されるようになるのは明治になってからである。

1