茶席で出される懐石料理は料理のすべてを食べきれるように作った飯、汁、向付、煮物、焼き物の一汁三菜が基本である。料理は質素であっても、茶の湯の精神に則りできる限りのもてなしの気配りをすることが大切である。必然的に、四季の季節感のある旬の食材を使い、料理と器が調和するように美しく盛り付け、タイミングよく給仕することを心掛けることになる。

 天文13年(1544)、千利休が催した茶会で出された料理は質素な一汁三菜である。膳には向こう側に麩の煮物とウドの和え物を置き、手前には飯、豆腐とつくしを入れた汁を並べる。このほかには、一人ずつ取り回す引き物料理として酢くらげがあり、菓子は蛸の煮しめと栗、榧の実であった。永禄2年(1559)の茶会では、鰹と鯛の和え物を大皿に盛り、調味料として塩を添える。それから引き物として加増鱠、白鳥と筍の煮物、それに飯と野菜の汁である。引き物とは器に入れた料理を客から客へと手渡しで回して各自が取り分けるのである。

 天正15年(1587)、豊臣秀吉は朝鮮出兵に際して博多の豪商、神谷宗旦の屋敷で懐石料理をもてなされた。この時の料理は麩と白鳥の汁、山椒をそえた香の物、飯、白鳥と大根、生姜の鱠、鮎の塩焼き、刻み生姜を添えた生鮑、ささげ豆と茄子の和え物である。最後に菓子としてクルミ、松の実、桃、たたきごぼう、麩の煮しめである。

 この後、江戸時代になって流行する会席料理では懐石料理よりも料理の品数が増えて贅沢になるが、飯、汁、菜、香の物を組み合す懐石料理の献立形式は変わらず、今日まで続く日本料理の基本形となっている。

 

 

 

 

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