奈良時代、平安時代の貴族たちが楽しんだ宴会には山海の食材を集めた料理が出たが、その多くは生もの、干物、焼き物、塩漬け、酢漬けであり、どれも味付けがされていない。小皿に入れた塩、酢、醤を付けて食べていたのである。 

 ところが、鎌倉時代になると中国から帰朝した栄西や道元などの禅僧たちが中国禅寺で作られていた精進料理を紹介した。精進料理は寺院の料理であるから、仏教の殺生禁止の戒律を守り、魚貝や獣肉は一切使用しいで、野菜、豆類、穀物、海藻などをおいしく味をつけて調理することに優れていた。この精進料理の調理法を取り入れることにより、本膳料理、懐石料理,会席料理などの日本料理が生まれたのである。

 精進料理では植物性タンパクが豊富な豆腐、湯葉、麩などを油で揚げて魚鳥の肉に近い味を楽しむ料理が多い。豆腐を崩して細かく刻んだゴボウ、ニンジン、シイタケ、ギンナンなどを包んで揚げる雁もどきはその一例である。また、野菜を茹で、磨りゴマ、クルミ、味噌、酢味噌などで和える和え物、あるいは酢味噌、ワサビ酢、カラシ酢などの和え酢を使った酢の物もある。

 精進料理が普及するとともに、後世の日本料理に欠かせない食材になったのは豆腐、湯葉、味噌などの大豆加工品とゴマ油である。それまでゴマ、菜種、大豆、榧、椿から絞った油は灯明に使う貴重品であり、食用にすることはなかったのである。生麩や豆腐をゴマ油で豆腐になる揚げた揚げ物は代表的な精進料理である。精進料理の料理法は我が国古来の素朴な調理を一変させて「料理」に変貌させた。料理とは食材にどのように手をかけるかを競う文化なおである。

 豆腐が中国で考案されたのは唐の時代であるらしいが、日本で盛んに作られるようになったのは室町時代からである。水に浸した大豆を石臼で摩砕した汁を温めたのが豆乳であり、苦汁を入れタンパクを凝固させると豆腐になる。苦汁を入れずに熱して、鍋の表面に浮かぶタンパクの皮膜を引き上げて乾かしたのが湯葉である。小麦粉を水と塩で練ってタンパクを分離したのが生麩であり、糯粉や小麦粉と混ぜて焼くと焼麩になる。味噌の原型は中国の醤(じゃん)であり、蒸大豆を麹と塩で漬けて発酵させると味噌になる。最初は舐めものであった味噌を料理に使うようになったのは鎌倉時代からであり、味噌汁にして飲むようになったのは室町時代からである。

 

 

 

 

 

 

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