奈良時代の貴族は牛乳や乳製品を貴重なタンパク源として愛好していた。肉を食べることは殺生禁止令で禁じられていたが、牛乳を飲むことはおかまいなかったのである。牛乳や乳製品を摂る習慣も大陸から伝来したものであり、宮中では乳牛院で絞った牛乳3升が毎日、天皇一家に提供されていたと記録されている。牛乳からは蘇(牛乳を煮詰めたコンデンスミルクかチーズのようなもの)、酪(ヨーグルトのようなもの)、醍醐(バターかチーズらしい)が製造されていた。諸国には乳戸を設け、蘇を作って献上させていた。蘇 5壷を作るには13唐の雌牛から20日間、乳絞りをしたという。しかし、牛乳や乳製品は奈良時代、平安時代を過ぎると食卓から姿を消してしまう。わが国では肉用、乳用にするために多数の家畜を飼う牧畜は育たなかったのである。

 例外的なこととして、八代将軍、徳川吉宗はインドから白牛を3頭輸入して、滋養の薬として乳製品をせっせと摂っていたという。彼が頑健な体格で、側室や子供の数が多かったのはそのせいかもしれないと噂されていた。

 牛乳や乳製品を摂る食文化が復活したのは、明治維新になり肉食禁止が解禁され、肉や乳製品を使う西洋料理が推奨されてからである。牛肉を食べることはなkなか普及しなかったが、牛乳は滋養になるというので乳児用や病人用に飲まれ、明治7年位は家庭への宅配が始まっている。バターは明治19年、国産化に成功したが、独特のにおいが嫌われバター料理は普及しなかった。

 乳製品を食べることが飛躍的に普及したのは第二次大戦後のことである。牛乳、バターなど乳製品の消費は戦前に比べて28倍にも増加した。現在、牛乳の消費量は年間、850万キロリットル、一人当たり67リットル、ヨーグルトは80万キロリットル、チーズは23万トン、バターは9万トン(マーガリンは20万トン)であり、一世帯当たりの牛乳、乳製品の平均購入金額は3万円余りである。、

 

 

 

 

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