日本列島に人類が現れたのは約3万年前かと考えられる。その頃はまだ氷河期であったので海水面が今よりずっと低く、宗谷海峡や対馬海峡は陸地同然になっていた。彼ら、旧石器人は獲物を求めてシベリアから北海道に、あるいは朝鮮半島から九州に移動してきたらしい。彼らの生活遺跡からは調理に用いたと考えられる焼けた礫、焚火の痕跡である焼けた土、大型獣の骨が見つかる。おそらく石器を槍先につけた投げ槍でマンモス、ナウマンゾウ、ヘラジカ、オオツノシカなどを狩り、包丁代わりの石器で肉を切り分け、焚火で焼くか炙るなどして食べていたのであろう。

 火を使う調理がすでに始まっていたのである。食べ物に火を加えれば、柔らかく、食べやすくなり、おいしくもなる。栄養成分が消化、吸収されやすくなるのである。動物も木の実の皮を剥いだり、貝の殻を割ったりはするが,火や道具を使うことはない。火と道具を使って食べ物を処理する、つまり調理をすることは人間だけができることであり、食の文化の始まりなのである。

 やがて約1万年前に最後の氷河期が終わると、気候が急速に温暖になり日本列島の地形と生態系は大きく変化する。まず、海面が大きく上昇したので、海が陸地に複雑に入り込む地形になった。寒冷な気候で生育していた針葉樹林は後退し、それまで南の暖地に生えていたアカガシやシイなどの常緑照葉樹、ブナ、ナラ、クヌギなどの落葉広葉樹が繁茂し始めた。草原が森林に変わるとナウマンゾウやオオツノシカなどの大型獣は絶滅し、ニホンシカやイノシシが現れた。

 この時代に登場した縄文人は照葉樹林、広葉樹林に豊富な木の実,山草、キノコを採り、シカ、イノシシ、兎など小動物、キジ、ヤマドリ、カモ、ハト、ウズラなどの野鳥を弓矢で捕獲した。複雑に入り組んだ内湾や河川ではサケ、マス、タイ、スズキ、アジ、イワシ、アユ、フナ、コイなどの魚、ハマグリ、アサリ、アワビ、カキ、サザエ、シジミ、タニシ、などが豊富に獲れた。海岸ではウニ、ナマコ、ワカメ、アラメ、ホンダワラなどが拾えた。

 縄文人の食生活で起きた革命的な進歩は石器のほかに土器を使用したことである。方形平底の土器には木の実などを保存することができ、尖形底の深鉢に水を入れて火にかければ肉や貝を煮炊きすることができる。ニワトコや山葡萄の実をつぶして貯えておけば発酵して酒になったであろう、。縄文人が残した食物遺物を分析してみると、彼らは栄養素の半分ほどを木の実から、残りを魚介類、そして一部を鳥獣肉から摂っていたらしい。縄文人骨の形態や炭素、窒素同位体分析から推定すると、縄文人の体格と栄養状態は私たちが想像するよりは良い状態であったらしいが、食べ物が足りずに飢餓になることもあったので平均年齢は30歳ぐらいであったらしい。

 

 

 

 

 

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