現人類が世界各地で定住生活を始めたのは今から1万2千年前、最後の氷河期が終わり気候が温暖になり始めたころである。そして紀元前4000年ごろになると、どの地域でも大河の流域で農耕生活をするようになり、人口が飛躍的に増えて古代王国が出現したのである。

 大河の流域には洪水によって上流から運ばれてきた肥沃な土壌が堆積していて、水の便もよく、穀物がよく実ったからである。チグリス川、ユーフラテス川にはさまれた半月地帯にはメソポタミヤ文明、ナイル川流域にはエジプト文明、インダス川流域には古代インド文明、そして黄河、長江の中流域には古代中国文明、どれも同じころに農耕生活によって興った古代文明である。

 ところが、日本列島では違った。ちょうどそのころ、私たちの先祖である縄文人は豊かな広葉樹林でどんぐり、栗、クルミなどを拾い、鹿、猪、兎などの小動物を弓矢で捕えて食べていた。内湾や河川ではサケ、マス、タイ、フナ、コイなどの魚、ハマグリ、アサリ、アワビなどの貝が獲れ、、ウニ、ナマコ、ワカメ、アラメなどが拾えた。各地に残っている貝塚の遺跡に捨てられている遺物から推定すると当時の日本列島は自然の恵みの宝庫であったらしい。

 狩猟採取と漁労によって暮らすことができた縄文時代は約1万年も続き、最後まで農耕らしい農耕をする必要がなかった。このことは世界の食文化史から見てもきわめて珍しいことである。ようやく紀元前数百年ごろ、中国から稲作が伝来して農耕生活が始まり、ようやく古代国家が誕生するのは紀元4世紀のことである。

 我が国における古代文明の夜明けはメソポタミヤやエジプトに比べて5000年も遅れたのであるが、そのことは日本列島の複雑な地形と季節の変化に富んだ風土とそこでで得られる豊かな自然の恵みに関係がある。日本列島の面積は38万平方キロメートルと決して広くはないが、北緯45度の北海道から北緯25度の沖縄まで南北3500キロメートル、東西3000キロメートルにも広がっている。列島の中央部には脊梁山脈が走っているので国土の7割が山地であり、3万余の急峻な河川が流れているから、気候は狭い地域ごとに異なり、海岸線は複雑に入り組んでいる。

 列島の中央に位置する本州は温帯アジアモンスーン地域に属し、雨量が多く四季の変化がはっきりしているが、北の北海道は亜寒帯気候、南の沖縄は亜熱帯気候である。さらに列島を取り囲む海洋は、太平洋側にオホーツク海科から冷たい親潮が南下し、南方から暖かい黒潮が北上している。日本海側には黒潮から分岐した対馬海流が北上し、北海道にはオホーツク海から流氷が流れ着くなど、暖流、寒流の入り混じる日本沿岸はプランクトンが豊富な世界屈指の漁場である。

 この複雑な地形と気候が幸いして、国土は狭いけれども四季折々の農産物や魚介類が豊富に手に入るので、魚介類や野菜を多く使う日本食が発展したのである。

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