•   日本は飲酒の儀礼がうるさい国である。その源流を平安京で藤原氏一族が摂関政治を行っていた頃、永久4年、1116年、藤原忠道が内大臣に任じられたのを祝って行った大饗宴の飲酒儀礼にみることができる

 台盤という中国風のテーブルに料理を並べて主客が席に着くと、まず、藤原氏の長者である頼長が杯をとって酒を飲み、その杯を参集した公卿たちに身分の順に巡らせる。これを第一献という。次の第ニ献は客だけで上座から下座に杯を巡らせる。第三献は再び頼長から飲み始めて客に杯が巡る。同じ杯で酒を飲み合うことで仲間意識が生まれるのだから、酒は同じ杯で一座の人が回し飲みをするのである。上座から順に杯が一巡するのを「一献」と言い、三つ組みの杯を順に使って「献」を三回繰り返すのと「三献」になる。数多くの料理を並べて参会者が酒杯を巡らせる「献」を行い、招待者が権力と財力を誇示して一族の序列と結束を固めるのである。

 三献が済むと会食になり、それが済むと別席で酒宴になる。各自の前に酒肴を据えて、酒を飲み、楽器を奏でて楽しむのである。この酒宴は酒礼抜きで行う飲めや唄えの無礼講、今日の二次会である。平安貴族が行っていた饗宴はもともと中国の宴会を模倣したものであったが、後世の日本型宴会の原型になった。室町時代の武家貴族が行った式正宴会、武士が一族郎党が結束を固める酒宴、現代の結婚披露宴、仏事の会食、会社の取引先を接待する宴会、同窓会の会食、友人同士の飲み会など様々な宴会があるが、どれも同じように酒礼で始まり、会食、そして二次会の酒宴で終わる。

 中世の武家社会では、宴会の最初に主君と家臣の間で杯を三回取り交わす式三献を主従の堅めの儀式として行った。今日の「駆けつけ三杯」という習慣は、酒を三杯飲まなければ宴会が始まらなかったことに由来している。現在でも、地鎮祭などで祝詞を奏上し、その後でご神酒を関係者全員でいただく直会(なおらい)、結婚式で行われる三々九度の夫婦固めの盃、両家の親族で交わす盃ごと、宴会の最初に行う乾杯や献杯の挨拶、宴席で主客が交わす盃の献酬、最近では行われないらしいが「俺の杯が受けられないのか」という酒の無理強いなど、煩雑な飲酒の作法と習慣が残っている。古来、飲酒にはいろいろな社会的役割があったことを示す証拠である。

 

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