明治維新から第二次大戦前までの家庭の食事は、ご飯が主であり、副食は野菜、大豆、魚の一汁二菜の和食であった。日本食の栄養改善は明治維新に始まったというものの、実質的に家庭の日常食に大きな変化が起きたのは戦後のことである。

 明治になってからでも収入の少ない家庭では、朝は味噌汁と漬物、昼はめざし、煮豆、福神漬け、夜はがんもどきの煮つけ という粗末なおかずでご飯を食べていた。製紙工場で働く女工さんの食事は一日四合のご飯、おかずは朝夕は味噌汁と漬物だけ、昼は野菜の煮物であった。乾鯵、塩鮭やなまり節などが食べられるのは月に七-八回であった

大正、昭和前期になると副食が少し豊富になり、都会の家庭では朝が味噌汁、納豆、つくだ煮、漬物、昼は塩鮭、野菜の煮物、漬物、夕食には鯖の味噌煮、切り干し大根と油揚げの煮物、漬物、時にはコロッケ、トンカツ、カレーライスを食べるようになった。しかし、農村では明治のころとさして変わらぬ自給自足の食生活を続けていて、麦飯と味噌汁、漬物、野菜の煮物が主で、塩鮭や乾し魚を食べるのは月に数回であった。

 このような食事であるから、カロリーは2100キロカロリー程度を確保できていたが、その80%は米、麦、芋、大豆から摂っていた。動物性たんぱくや脂肪の摂取が少なく、栄養素のバランスが悪いために国民の体格は貧弱で、栄養不良による感染症が多く、平均寿命は男性が45歳、女性47歳であった。

 そこで、第2次大戦後は米食中心の食生活から脱却して、肉料理、油料理を多く摂る欧米型の食生活に転換して栄養状態を改善する指導が行われた。それを可能にしたのは戦後の高度経済成長で国民の所得が増えて食生活に余裕が生まれたことである。その結果、米の消費は4分の1に減り野菜は2倍、魚は3倍に増え、ことに油脂類の消費が15倍に、肉類は13倍に、牛乳、バターなど乳製品は28倍に増加した。米や麦、芋など糖質から摂るカロリーは全体の6割に減り、残りの4割をタンパク質と脂肪から摂るようになったから、昭和50年頃にはタンパク質、脂肪、炭水化物の摂取比率が理想的なバランスになった。それで成人の身長は平均10センチ伸びて、平均寿命も男性は79歳、女性は86歳になり、世界一の長寿国になったのである、

 

 

 

 

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