軍隊食では牛肉の煮込みが1週間に3回ほど出された。延べ100万人の兵士を動員した日露戦争では戦地食として大量の牛肉大和煮、ローストビーフ、コンビーフの缶詰、ビスケット、乾パンが支給された。農村の青年は軍隊で初めて牛肉のおいしさを知り、兵営内の売店でビールや餡パン、ビスケットなどを買って西洋の味を覚えたのである。明治の軍隊食は栄養知識の活用、牛肉料理の普及に役立ったといえる。

 しかし、民間では西欧風の料理や飲物は容易に普及しなかった。西洋料理といえばパン、牛乳、バター、コーヒ、紅茶がつきものである、明治2年、オランダ人にパンの製造を習った木村安兵衛が東京でパン屋、木村屋を創業し、パン生地を酒麹で発酵させ、小豆餡を芯に入れて焼いた「あんぱん」を発売して大人気を得た。続いてジャムパン、クリームパンなど菓子パンの需要は増えたが、ご飯の競合して食パンが食卓に並ぶことはなかった。主食としてパン食が普及するのは第二次大戦後の学校給食にパンが使われてからである。バターは明治19年に国産化に成功したものの、その匂いが嫌われて料理に使われなかった。牛乳は滋養になるというので乳児用、病人用に飲まれるようになり家庭への配達が明治11年から東京で始まった。

 コーヒもすぐには普及せず、東京に喫茶店ができたのは明治末年のことである。ワイン、ウイスキー、ビールなどの洋酒も物珍しいだけで需要は少なく、明治末年になっても酒は日本酒の独壇場であった。ビールの醸造は明治初年、横浜、札幌、大阪などで始まったが、大都市でも壜ビールが小売店で買えるようになるのは明治20年代の半ばになってからである。当時、ビールは大壜1本が30銭であり、米15キログラムが買える値段であったから時価に換算すれば4000円、高級ワイン並であるから、一か月の収入が15円程度の家庭では気安く飲めるものではなかった。ワインの醸造は明治13年、山梨県下で始まったが、味が渋いと嫌われて売れず、代わりに甘味葡萄酒が滋養強壮のために飲まれた。西洋料理に使うジャガイモ、タマネギ、キャベツはすぐに栽培が始まったが、セロリ、アスパラガス、トマト、ピーマン、レタスなどが食べられるのは第二次大戦後のことである。 

 

 

 

 

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