肉料理、油料理の多い西洋料理が和洋折衷型の「洋食」とに姿を変えて庶民の食生活に入ってきたのは、明治の末から大正にかけてであった。ご飯に合うおかずとして考案された、カツレツ、カレーライス、コロッケ、少し遅れてとんかつが東京の街中にできた洋食屋で人気を集めた。ついでながら、串カツ、カキフライやハヤシライスも日本にしかない洋風料理である。

 東京の中流家庭では明治30年ごろになると洋食を作るようになるのだが、農村では依然として牛肉を食べなかった。したがって、国民一人あたりの牛肉の消費量は現在の20分の1、1日に4グラムであった。

 洋風の肉料理が家庭に本格的に普及するのは第二次大戦後のことである。そのきっかけは敗戦によってアメリカ軍の駐留を受け、支給されたパンやミルクで飢えをしのいだことであった。昭和21年から27年までの5年間にアジア救援公認団体、LARAから支給された食料だけでもミルク、脱脂粉乳、砂糖、ベビーフード、乾燥野菜、大豆、、肉、乾燥卵、缶詰、小麦粉など1万7000t0トンにもなり当時、ひどい食糧難に悩んでいた国民を栄養不良から救った。

 その後、朝鮮動乱戦争で経済が復興し始め、それに続く高度経済成長のおかげで国民の所得が増えて、肉料理を食べる余裕ができたのである。政府は国民の貧弱な栄養状態を改善するため、キチンカーを巡回させて肉料理、油料理のメニュウを実地指導した。その結果、朝食はパン牛乳、卵、ハム、という家庭が増え、夕食の食卓にはハンバーグ、カレーライス、トンカツ、焼肉などが並ぶようになったtのである。最近では日本人が食べなれてき魚の消費量を食肉の消費が追い越しかけている。、

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