すき焼きは明治初年に牛肉食が解禁されて登場した牛鍋から発展した鍋物料理であり、今では日本料理を代表するものとして外国人にも人気がある。薄切りの牛肉を平たい鉄鍋で焼き、ネギやシュンギクに焼豆腐、シラタキを添えて醤油と砂糖で味付けしながら煮つけて、溶き生卵に浸けて食べるのが一般的なスタイルである。関西地方では鉄鍋に牛脂を溶かして牛肉だけを醤油と砂糖で焼いて味わい、それからネギなどを加えて煮るが、関東では割り下地(出汁に醤油、みりん、砂糖を加えたもの、すき焼きの素として売られている)を使って煮ることが多い。

 すき焼きという名前は、江戸の昔、農具の鋤の鉄刃の上で鳥肉や魚を焼いて食べたことに由来する。それが明治の初めに牛鍋に発展したのである。牛鍋屋は明治元年、堀越藤吉が東京、芝に開業したのが最初であり、最盛期には五百数十店もが繁盛したという。牛鍋は七輪の上に載せた浅い鉄鍋で牛肉にネギを合わせて煮る3銭5厘の並鍋と鍋に牛脂を塗って牛肉を煮る5銭の焼鍋があったらしく、焼鍋はすき焼きに近い。当時、ビールは1本、30銭もする高価なものであったから、庶民はもっぱら2銭3厘の燗酒で牛鍋を楽しんだのである。牛鍋が現在のすき焼きのスタイルになったのは大正末期かららしい。

 因みに、明治初年の西洋料理屋のメニューを見ると、スープ、フライ、ビーフステーキにパンとコーヒーの付いた西洋コース料理が16銭である。県庁の給仕の月給が50銭、会社員の初任給が5円という時代であるから、西洋料理とビールは庶民には高嶺の花であった。今一つ、付け加えると、現在の日本食ほど、すき焼きもそうであるが、砂糖を多く使う料理は珍しい。欧米では料理には砂糖は使わず、砂糖はデザート、ケーキ作りに多量に使われる。西洋料理は基本的に脂の料理であり、日本料理は水の料理であるからであろうか。東西の食文化を比較すると、いろいろ面白いことがある。

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