和食の伝統的特徴は、コメを主食にすることと 肉を食べないことであった。日本人が肉食をするのは明治維新になって肉食禁止令が解禁され、西洋料理が移入されてから後のことである。

 肉食が長く禁止されていたことは仏教信仰と深い関わりがある。奈良朝、欽明天皇の13年、西暦552年、仏教が百済より伝来して以来、歴代の天皇は仏教に深く帰依し、法隆寺、四天王寺、東大寺を始めとして多くの寺院を建立して仏教と僧侶を保護した。

 そして、天武天皇の4年、675年には殺生を禁じる仏教戒律を守るために、人民に殺生、肉食を禁じる詔が公布された。4月から9月までは牛、馬、犬、猿、鶏を殺して食べてはならないという命令である。その後も、殺生禁止の詔は繰り返して発布され、中でも聖武天皇は3年間、全ての禽獣を殺すことがないように命じている。しかし、民衆の多くは仏教の殺生戒律を知らなかったから、狩猟、漁労を全面的に禁止することは徹底しなかったらしい。

 昔の日本人は動物の肉を全く食べていなかったのかと言えばそうではない。縄文時代には猪や鹿の肉は貴重な蛋白源であり、貝塚からは多くの動物の骨が出土する。野獣、野鳥はもとより、家畜として飼っている牛馬、豚、犬、鶏を食用にすることもあった。中世になって仏教信仰が民間に広まってからでも、野獣や野鳥を食べることは止まなかった。武士が武術修練のため狩猟を行い獲物をご馳走に使うことはごく普通のことであり、農民は農作物を荒らす鹿や猪を捕えて、その肉を体力回復のため「薬喰い」した。江戸の市中には鹿肉を「もみじ」。猪肉を「ぼたん」、あるいは「山くじら」と呼んで食べさせる店があった。

 しかし、宮中から始まった肉食の禁忌は次第に一般民衆の食生活を規制することになっていく。肉食は仏教で禁じられている行為であり、忌むべきもの、穢れたものと考える風潮が次第に広がり、特に家族同然に暮らしている牛、馬、鶏、そして卵を食べることは決してしなくなった。それと共に食用,乳用にするため多数の家畜を飼育する牧畜は地形の制約もあって育たなかった。

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