日本食の伝統が揺らいでいるが、ご飯が主役であることには変わりはない。米の飯に味噌汁と漬物があれば、おかずは何であろうと和食になる。焼肉やハンバーグでも、大根おろしを添えて醤油で食べれば、立派な和風料理になる。

 二千年来、日本人の主食であり続けている米が日本に伝来したのは紀元前数百年ごろ、縄文時代の末期である。 四千年も前から中国、長江の上、中流域で行われていた水稲栽培の技術を朝鮮半島を経て北九州に渡来人が伝えたのである。水稲は高温、多雨の日本の気象によく適合する作物であったから、それから五百年ほどのうちに九州から本州北端の青森に至るまで栽培されるようになった。  稲は収量の良い穀物であり、一粒播けば、七百粒にもなる。現代の米作りであれば、一株から玄米がお椀に2杯も収穫できる、しかも、同じ水田で何百年でも連作ができ,貯蔵性もよく、栄養価が高く、食味が優れている。

 米という優れた穀物を手に入れたおかげで、日本は狩猟と採取に頼っていた縄文時代の生活から、弥生時代の農耕社会に一挙に移行することができた。 農耕により食物を安定して得られるようになると食物を探す心配がなくなるから、生活に余裕が生まれ人口が増えて集落が大きくなり、やがてそこを束ねる王が登場し、豪族、部民という社会階層が分化して古代王国、クニ が誕生するのである。 縄文末期には狩猟採取で十分な食物が得られなくなっていたので人口は8万人であったが、米作りを始めた弥生時代には30万人、水稲栽培が本格化した古墳時代には150万人、飛鳥、奈良時代には700万人と飛躍的に人口が増え、古代王朝へと移行したのである。

 古代の文明はどこでも大河の流域で紀元前4千年年前ごろに農耕を始めることによって興った。。そこには洪水で上流から流れてくる肥沃な土壌が堆積していて、水の便もよく穀物がよく栽培できたからである。古代のメソポタミヤ文明、エジプト文明、インダス文明、中国の黄河、長江文明、どれも農耕を始めることによって始まった。わが国ではそれから2000年遅れて、稲を栽培する農耕が始まり、文明が始まったのである。食べることは人間個人の生存に欠かすことのできないことであるが、社会の成立にも欠かせないものであり、文化の始まりでもあることを認識してもらいたい。 

 

 

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